YUKI-LOG

うつ病、社交不安障害の克服に向けて、筆者が取り組んでいることを主に書いていきます。

久しぶりの1時間ウォーキング

21時前には床に着いたが、目を覚ましたのは11時過ぎだった。




昼寝も最近している。寝過ぎだろう。





バナナが腐っていたので捨て、ヨーグルトを食べ、アモキサンレキソタンを飲んだ。






歯を磨き、ヒゲを剃る。





今週の土曜は高校の同級生と飲みに行く約束がある。





1人が同棲するからなかなか会えなくなるだろうということで。





先週の月曜日に勝手に話しは進んでいた。どうやら前日に既に3人の中で飲みに行くと決まっていたらしい。




4人目は私だ。「たてやまはどうなん?」




どうなんって昨日グループ通話にいなかっただろうが。と言ったが、いきなり会う約束になるのはいつものことである。





飲み屋も日にちも決まっていないので、めちゃくちゃだ。





会社を辞める計画を立てていたのと腰痛でそれどころではなかったが、飲み屋に予約を入れた。






家電芸人Bから送られてきた飲み屋クーポンがある。多少安く飲めそうだ。






最近はグループ通話に出られていない、というより寝ているので、ヘルニアで寝込んでいるということにしてある。






1時間程ウォーキングをする。





昨日は寝たきりだったが、最近無理やり動いていたので案外歩けた。






アオスジアゲハが飛んでいた。




ブルーの色彩が美しい蝶だ。





家に着き、風呂に入り、兄と支援者が作ったからあげを食べた。





着信履歴を見た、8時頃、会社からだ。





薬は満量飲んでいるが、かけ直す気力がない。





履歴書を送って賭けた会社からの連絡はない。





以前の自分に戻っただけだ。





スローペースで就活し、医師が言うところの「普通の会社」で自分を試してみるしかない。

3年前

社交不安障害、3年前にうつ状態になって倒れた時、支えてくれた人がいた。



元嫁。




今はどうだろう。





父はもう正社員ではないが、非常勤の仕事で忙しく、会うのは稀である。





発達障がいの兄に頼み、夕食だけ買ってきてもらっている。




兄は週3回、生活支援を1時間半受けている。





働き、支援感覚が戻ってきたところでたまに「おはよう」や「弁当ありがとう」の声かけをするように心がけていたが、余裕がなくなり今では声かけもなかなかできない。






レクサプロ、レキソタン




デパス同等の効果を持つレキソタンだが、飲み忘れると具合が悪くなる。既に薬依存は始まっている。






通常の感覚では3ヶ月など短いと感じると思われるが、3ヶ月続けられたのは薬のおかげだと思う。





高校生なら夏休みに入れる期間だと感じる。





もっと早く薬に出会えていたら、いや、飲んでいたら、高校を中退せずに済んだかもしれない。





高1当時の私はメイラックスだったかどうか忘れたが、何かの薬1錠で眠ってしまう程、まだ健常な脳と身体を持っていた。







心の病気とは恐ろしいものだと感じる。





高校を辞めてからほとんどずっとストレスを感じながら過ごしてきた。





安泰な日などほとんどない。




20で母が逝き、22で祖母が逝き、23で祖父が逝き、24で結婚、26で退職、離婚。





ストレスだらけの20代だった。






加えるなら28,人生やり直そうとして病気と共に働くが3ヶ月で断念。





バカなのか。





生きている価値がない。

過眠

昨日は20時半頃には床に入ったはずだが、完全に目を覚ましたのは11時半だった。




バナナを食べ、アモキサンを飲み、歯を磨き、ヒゲを剃る。




現時点では起きていられないので、仰向けになってスマホを打っている。





よくない兆候だ。1年半前、この状態が続き、ほぼ寝たきりの生活を何ヶ月か送ったことがある。




あの状態に戻るのはこりごりだ。





フラフラしてまともに買い物もできなくなる。





13時、よって、昼食を食べ、無理やり起きている。布団の上であぐらかいている状態。





電子タバコで覚醒させようとするが、何のやる気も出てこない。





罪悪感により昨日アルコールを摂取したわけではない。





真っ当に生きようと思ったので、アルコールは控えている。





レクサプロが効くまで何週間かかかるみたいだ。





「動けなくなるかもしれませんが、アモキサンを減らします」





昨日の医師の言葉が蘇る。





アモキサンは半量の50mmになっている。





だが、思い返せば先週の火曜から午前中は行動できるが、午後は寝ていた。減らす前からだ。





退職の罪悪感からなのか。





明日電話がかかってくることは目に見えている。出る気はない。最低なことをしたのだ、最低な人のままの印象で終わりたい。





退職にかかる保険証手続きなどの書類を郵送してくれればそれでいい。





退職願とは別に保険証の書類をよろしくお願い致しますの1文を書いた文書も同封した。






いい人がいた。




私を人間として扱い、扱い方まで理解して世話をしてくれた上司に申し訳ない。






福祉という仕事上、障がい者を助けたいという善良な心を持った人たちも少なからず存在する。





もう後戻りはできない。





前の会社はゆるく自分の裁量で自由に仕事ができるところが良かったが、仕事のできない人間が多かった。





また、他の会社から敬遠される程の異常な社長が居て、社長命令は絶対に従わなければ辞めざる負えないが、事業所を増やし過ぎたため、会う回数は少く済んでいた。




今回は仕事のできない社員というのを見たことがない。




仕事量も多い。たいていメモ帳一冊で会社一つ今まで足りていたが、ここで使ったメモ帳は3冊。ワードでマニュアルを30枚程書いた程である。





13時30分になった、耐えられず横になりスマホを打つ。





離婚以来、人との別れが怖くなった。





新たな病気でも患ってしまったのだろうか。





それらも気になるが、さらに懸念しているのは以前に戻ってしまうこと。





1.アモキサンが50mm減ったから




2.退職の罪悪感





3.病気の状態で正社員として3ヶ月働いた反動





4.病気の延長線上、特に理由はないが、病気の波のため





いろいろ考えたがあまり、思いつかない。





入社前、健康診断で脂質、肝臓、血圧でひっかかっている。





今日は雨だから仕方ないが、毎日1時間以上は歩いて頂きたい。





寝たきりになって身体の病気でしぬのも悪くない。





親父ももう65歳、どうするつもりなんだ。

病院へ

月曜日、職場の後片付けをしに行った際、通院日を一週間早めさせて頂いた。




今月辞める場合、来月、保険証の更新などを考えると来月の頭には病院に行けないと思ったからである。





混乱しながらもそのようなことをしていたのか…何をしているんだ私は…





午前中に退職願を書き、郵送準備ができた。





音楽を聴きながら病院へ向かう。





往復1時間半はかかる。いい運動量だと感じる。





病院に行く際、エレベーターを使う。エレベーターに乗った。




「すいません、ちょっといいですか」




同じくらいの年齢の方が乗ってきた。






病院の階に着く。




開くボタンを押して、その方を先に行かせた。




しかし、病院のドアの前で律儀に待っている。





「お先にどうぞ」と。




「すいません」とお辞儀をして先に受け付けを済ました。





なぜ、このようないい人がメンタルにかかって苦しまなければならないのだろうか。






私より若いのか、年上なのかは判別できなかったが、内心、「そんなに気づかってたら疲れちゃうよな」と思っていた。






ゲイではないが、病院内で気になってしまった。





その方が先に呼ばれる。




私はせっかちなので、たいてい20分前には病院に着いている。






その後、名前が呼ばれた。





「どうですか」




「不安や緊張に効く、抗うつ薬をください」




また無意識に口走っていた。




薬くれくれコールである。





「薬はありますが、アモキサンを減らすことになります。動けなくなるかもしれませんよ。試す価値はありますが。」





「ありがたいです。ぜひお願い致します。」





「レクサプロという薬を処方します。デプロメールに近いお薬です。社交不安の薬としても使われます。」





そういう系の薬を望んでいた。社交不安とうつ、どちらにも作用してくれる薬でないとつらい。





「仕事は辞めようと思っています。繰り返しになりますが、支援員をやりたかったのに配属先が介護だったので。」





「早めに辞めた方がいいです。」




「介護はキツい仕事ですから。」




来月の予約をし、終わる雰囲気だったので「ありがとうございました」と言い、席を立った。






呼び止められる。





「普通の仕事なら続けられるかもしれない。」





励ましの言葉がかかった。




お礼を言い、病院を後にした。





帰る道中、普通の仕事ってなんだろうと考えていた。




そして、退職願を郵送することに決めた。





社会人として、やってはいけないことである。普通は1ヶ月前とかに直接、上司に渡すものである。





医師にも「もう退職願は出したのですか」と聞かれたことを思い出した。





「退職願を出すのを躊躇しています。」と答えた。





「普通、1ヶ月くらいかかるものですからね。」





ギクりとしたのも思い出した。





(普通ではない辞め方をしようとしているのですよ……)




さすがに言えなかった。





会社でも病院でも最近は常識的に振る舞ってきた人間が最終的に行うのが、退職願の郵送という非常識的行為であるから。






腰痛を理由に家から動けないとごまかそうとすれば、ごまかせるが、やはり、人としてダメだろう





歩くたびに腰がたまに痛んだ。





腰もまだ治っていない。こちらもどうにかしないと後で困るよね。






家に付き、保険証を退職願の封筒に入れ、封をした。





保険証のコピーはとってある。今月中は使える。混乱中でもこういうところは抜け目がないカスである。





電子タバコを吸いながら、ポストに向かった。






ああ、もう終わりだ。言い訳など通用しない。





ポストに投函した。後戻りはできない。





3年振りに正社員として、働くことができた、すまない、ありがとう。

覚悟を決めて

人と別れるのが怖いのかもしれない。




死別と比較してはならないと思うが、人の死、同居の祖父母と母の死別には計り知れない悲しみがあった。





離婚、こちらは別の感覚の悲しみがあった。




「泣いていいのは人が死んだ時だけだ。」





そのような環境で育った。






だが、離婚の最中、私は泣いていた。





あるいは何もできない自身の無力さに。






離婚以来、考え方が少し変わった。





死別もどうにもできないが、生きている人間との別れも怖くなった。






何にしても退職など今までに比べれば大したことのないこと。






新卒だった頃の私は、昔の悲しみから比較すれば退職などかすり傷程度でしかなく、合う会社が見つかるまで転職を繰り返していた。






短い間ではあったが、良くしてくれた人たち、失う、もう会えなくなるのが怖い。





枯れ、涙も出ない悲しみを抱きながら、退職願を出すのだろう。

迷い、混乱

情けない。



非常に情けない、判断ができない。




加えて、時間がない。




明日の通院が終わり次第、日曜にでも保険証と退職願を郵送しておかないと、辞めるルートを辿る場合、困ることになる。





保険証のコピーはとってある。今月いっぱいはこの保険証が使える。辞めるなら金曜でも土曜でも出していいが、書く気力がない。





火曜と木曜にハローワークに行き、腰を使わない福祉業界をすべて見たが、該当したのが2件しかなかった。





ウイルスの影響は間違いなくハローワークにも出ている。





一般企業に関しては、ここぞとばかりに社名さえも公表せずに、求人を出しているブラックを感じさせる求人が半数を占めていた。






医師の言葉を思い出す




「よく続いていますね」




私「在宅勤務やゴールデンウィークがあったからなんとかやっていますが、限界は超えています」




私「通院と生活のためだけに働いていますが、毎月、言っているように次回通院する際には辞めているかもしれません。」





国保に変えて、通院する手もあります。不安、緊張が強いので、弱い薬2種ではなく、強い薬を処方します。」






正直、家にいる分には抗不安薬はいらない。





対人恐怖症なので、人と接しなければ症状は出づらい。人と会う約束、これもヤバい。予期不安が発生し、家にいても不安薬は必須になる





情けない。





仕事もある程度覚えたので、そして、休みで腰痛も良くなったから、ダラダラと続けるという手もある。





療養、必要なのもまた事実。腰痛で休んでいたが、メンタル不調もある。






もっと単純化できないだろうか。おそらく文章も支離滅裂になっていると思う。





8時半から5時15分、定時、45分間休憩契約で入社した。





現実は8時頃から準備、つまりは仕事が始まっており、4時まで休憩はない。取れても30分、少ない時は10分である。




残業代を出してくれたのは最初の1ヶ月だけ。基本的には毎日、6時に上がろうが出ない。





賞与4ヶ月の表記に踊らされて入社したが、初年度は出ない。





普通は求人票に載せなくてはいけない。6ヶ月以後、賞与付与など。





求人票の月残業2時間は真っ赤なウソである。





ほとんどの人が20時間以上し、残業代は出ない。





辞めるつもりだが、診断書の件はどうなったのだろうか。





必要な場合、今日か明日に電話すると言っていたが、来ない。こういうところはゆるい。





休みは簡単に取れる、そこはホワイト。





椎間板ヘルニアかもしれないが、余裕で現場に入らされる。





大丈夫?などきかれても大丈夫ですとしか答えようがない





らちがあかないので、腰以外は大丈夫です。と答えたが、介助には入らされる。




若干の配慮はあったが、ほとんど意味がない。他の簡単そうな患者の介助に入らされたところで腰は使う。





食事介助に関しては、私1人で2人の患者のご飯を食べさせる。




経験という名目で。




実際、上司たちも過去に当たり前のようにそれをやってきているので、感覚がズレている。





補わなければいけないのは、介助のスピードではなく、人手なのだ。






他の施設よりも職員が多いと経営者は語っているが、ここは「市立」という名前がついてしまっているため人気があり、患者も定員MAXなので、それに見合った人員配置をすべきなのである。






歩いて15分、とんでもないところに入社してしまった。





1件、違う会社に履歴書を郵送した。





転々としてる私もおかしいが、転々としていたから他の会社と比較することができる。この会社はおかしい。





だが、人格障害などの異常者は見当たらなかった。





職員たちは性格に差こそあれ、普通範囲内の「人間」ではあった。





いいところもあったので辞めるのが名残惜しい、未練たらしい情けない自分が出てくる。




考える時間がほしい。






情けない。

愚かなる行為

朝、早めに起きタバコに手をつける。




目覚まし時計のアラーム前に目を覚ますのが日課になっている。




バナナを食べ、薬を飲み、歯を磨き、ヒゲを剃った。いつものルーチンだ。





タバコに火をつけ、会社に電話をかけた。





昨日のいきさつを話し、会社はしばらく休んだ方がいいと言われたことや、MRI検査のことを話した。





今月だと通算で6日目の休みになる、診断書が必要になるかもしれない、と言われた。





診断書を出し休み、検査をしたところで、腰にコルセットを巻き、痛みに耐えながら仕事をすることになるだろう。





介護を2日休んだ今、腰が大分よくなってきている気がする。





働けば、3年前のように毎日無理せずとも動ける体になる、つまりは、うつが良くなると思っていたが、現実は何も変わらなかった。





良くも悪くもなっておらず、不安の薬が増えただけである。




腰の具合を確かめるため、歩いて体力維持するためにハローワークへ向かった。




徒歩で往復1時間半くらいかかる。1日の運動量としては充分だろう。





おとといは見れなかった一般企業の求人を主に見ていた。





どうにも変な求人が多い、会社名すら公開していない怪しげな求人も多くあってため息が出た。





こんなのばかり見ていたら、今の会社を辞めることも躊躇してしまいそうだ。





おととい印刷した腰を使わない求人の紹介状を刷って頂いた。





応募条件には、就労継続支援B型の勤務経験ある方、社会福祉士があると尚可、としか書かれていない。





就労継続支援B型、作業所の職員経験はある、だが、社会福祉士は受験資格しかない、あと1点で落ちてしまったからだ。




給料がやたらいいと思ったら(施設長補佐)と書かれていた。






就労継続支援B型でたかが2年半の実務経験の私を雇ってくれるのだろうか。





応募者は5月の求人であるにも関わらず、0,怪しい。





今の会社を受けた時は5人はいた。





会社を辞め、半年前のようなスローペース就活をしようとしているのだろう。





正社員になったところで何のプライドも戻らなかった。





プライドのために働くことに固執しているものだと思っていたが違うようだ。






一体何なのだろう。





学校に行き、卒業したら働く、それの当たり前風習の考え方が頭から抜けていないのだろうか。




よくわからないが刷って頂いたので、(施設長補佐)はさすがに受からないと思うが、明日、履歴書を書き、郵送しようと考えている。

再び整形外科へ

今日MRIを取るものだと思っていたが、予約しないと取れないそうだ。




座ってても違和感、もしくは痛い、歩いてても痛みが走る時がある。





椎間板ヘルニアかどうかの決定打がない。





MRIの予約日は7月8日になった。おいおい……




現在の保険証を維持するには、またしても痛み止めとシップで耐え、出勤する必要がある。





病院嫌いの自分が行くのだから相当なのである。





介護の仕事はしばらく休むようにと言われたが、期間が曖昧すぎる。





自分1人のために他部署に異動するのは不可能かと思われる。他部署は人が足りている。





やはり辞めるしかないのか?





接骨院という手もある。





4年前に計画したバイクに乗っての自殺願望が芽生え始める。





寝たきりの生活に戻るのはもうこりごりだ。




25歳の休職から27の2月までほとんど苦しめられた。




無理やり限界を超えて、身体を動かすことによって、今の自分ならスローペースの就活や腰を使わない仕事なら休みがちにはやはりなるだろうが、できるレベルに無理やり持ってきた。





室内で一生を終えるくらいなら、本気でバイク計画を企てようと思っている。

再びハローワークへ

買い物ついでにハローワークへ行った。




行くのは約半年ぶりである。




朝、腰痛のため電話欠勤をした。今日と明日の分だ。





また?、明日も?





言葉は強くはないが、「心配」感は電話口では感じられなかった。





メンタル通院日も今月中に早めて頂いた。辞める場合、保険証の切り替えに時間がかかるからだ。





退職願いの紙を買うついでにハローワークへ向かった。




以前のサイコパス社長がいる会社も求人にあった。





無意識に印刷したが、戻らない方がいい。





腰を使わない福祉業界の求人を選んで印刷していったつもりだったが、頭がおかしいのか、何枚か間違えて腰を使うかもしれない求人も印刷してしまった。





「1時間経ちました。待っている方がおられるので…」



「わかりました、出ます。」




ウイルスの影響はハローワークにも出ている。今までこんなことはなかった。まだ見たい一般業界の求人が見たかった。





座っている時間、どうにも腰に違和感を感じた、もしくは少し痛いといった感じだ。




激痛というわけではなく、耐えられない類のものではない。





退職願いの紙や履歴書、以前のサイコパス会社の選考に送るかもしれないレポート用紙を買った。





やはり、頭がおかしい。





一部、間違えてはいないが、以前の会社に戻るのは危険である。





「社長はいい人ではありません。職員を退職に追い込む悪い癖があります。今まで何人も見てきました。」




アメリカ大使館で働いていた上司は言っていた。





「おれも転職するよ。」




そう言い、私の退職を後押しし、彼自身も退職した。





腰の方だが、激痛なのはとある患者のトイレ介助だけなのだ。





個人的には椎間板ヘルニアではないと考えている。医師にその可能性があると言われたから、明日、検査に行く。






椎間板ヘルニアや他の該当するケガでなければ、労災は下りない。






よって、腰痛がある以上、辞めざる負えない。




もしくは職場のストレスと腰痛に耐え、居座るのか。





この会社は残業も出ないし、休憩時間も取れるか怪しい日もあるが、市から委託されているので、「市立」を名乗っている。




よって、職員の給料も福祉業界の中では賞与込みならいい方である。一人暮らしはしていけるだろう。





思考停止状態である。




とにかく完全に辞めてから就活を狙うのか、それともこのまま数日で決まるとは到底思えないが、7月、もしくは安全の8月、9月転職を狙うのか。





1,腰の結果次第で労災で居座る





2.該当しなかった場合、ストレスと腰痛に耐えながら居座る





3.無理やり7月転職を狙う





4.完全に辞めて、就活をする。採用日は相手に任せる





時間がない中で、練れる策はこれくらいだった。





ブログを書きながら、考えている部分もある。





辞めた場合、めんどうな保険証手続きや自立支援手続き、国民年金への切り替えなどがある。





今月末までには決めないといけない。





時間がない。

後片付けをしに

会社に私物をいくつか置いてきてしまっている。



明日も行きたくない。




片付けて、あとは電話欠勤をして、整形外科で腰を治し、今月末に退職願を郵送し、辞めようと考えている。




一部いい人もいたので、悲しい。

先がみえない

痛み止めと腰シップを貼り、5連勤を無理やり耐え抜いた。




昨日知ったが、勤続8ヶ月以上でないと、ボーナスは出ない。




よって3ヶ月目の私には支給されない。2ヶ月分の賞与のために、というかお金が必要なので続けてきた。





期待できるのは冬のボーナスであろう。しかし、この会社に居る意味がない。





転々としてでもいいので、5年務めると受験資格が得られるサービス管理担当責任者、略してサビ管と呼ばれている。





この資格が得られ、その管理職に就くことができれば、月給25万くらいは平均していくので、もともとはそれを目指していたはずだ。






では、なぜ今回、介護をやっているのか。




それは、配属先がたまたま介護だったからである。支援員として応募したはずだったが、介護するとは思っていなかった。





市から委託を受けている会社なので、「市立」を名乗っている。





そのため、利用者側からも人気があり、民間とは違い、常に利用者が定員MAXでいる。途切れることはない。利用者1人いなくなっても、空きが出たらすぐ入ってくる。





市からも国からも助成金が入り、更に利用者もMAX状態の補助金が会社に入るため、職員の給料とボーナスが若干、といっても年収で20万円くらいだが、他と比べると高かった。





この年収なら1人で暮らしていける。





就活の知識が足りていなかった。介護が併設されていれば、当然、最重度の障害をもった部署に配属されることも予期した方がよかった。





サービス残業が当たり前なのは疑問である。お金はどこに流れてしまっているのだろう。





腰をヤッてからドクロTシャツ上司からのいちゃもんは減ったような気がする、過去に彼女もヤッてるのだろうか。






仕事ももちろん忙しくストレスだが、それ以上にストレスなのは上司からの無茶な注文である。





「1人で利用者2人の食事介助を30分で」





「汗をかいていたら着替えてきて」





「リーダーに聞いてから何をするか判断せよ」





リーダーといっても日によって変わり、忙しそうにしているリーダーにいちいち聞きに行くのはどうなのだろうか。





ああしろ、こうしろ、言ってくるのは直属の上司、不良主任である。




灯台もと暗しって言ってな、近くにいるときづかねぇもんなんだよ。」





じいちゃんの言葉を思い出す。






よくよく考えたら、この主任に振り回されていることが多い。




何分まで、というのは障害者相手には現実無理なのだ。




そんなに早くご飯を食べさせたり、などをしたら危険である。





口癖は「スピード」じゃあ、福祉業界辞めて、よその営業会社にでも行ってくれ。






休憩時間が明確に決められていないのも疑問である。





これでは職員かストレスでどうにかなってしまう。





重要なことはきちんと報告しているつもりだが、え?そんなのも報告しなくてはいけないのか。と思えるような内容も報告してこい、と不良主任に言われることが多い。







報告しに行くが、職員はたいてい長々と誰かと世間話としか思えないことを話しているか、忙しいかのどちらかである。





私も障害者であることを認めた方がいいが、ここの職員も大半、障害者なのではないかと感じる。





事務用品の発注に関しては、データベースにない商品なので事務係長に話しを通したがうまくやってくれなかった。





部長に話しを通し、それから私のところまでこい、と。





数分間話しを聞いたが、データベースを変えるのが大変なのでやめてくれ、としか思えない内容だった。






それでは、データベースにない商品一覧が載っている本は廃棄した方がいいのではないだろうか。





女性職員がこの色のこのファイルなら、トイレ介助の時にチェックをつける時に楽だよね、とわざわざ本から選んだものだったから、発注してあげたかった。






事務係長は意味のわからないことに、どちらかの商品にせよ、と言ってきた。





3個の商品を頼まれているのに、どちらかにせよ、の意味がわからない。2択じゃないだろう明らかに。






じゃあ3つ中1つならいいのか?もうわけがわからないので流そうかとも考えたが、その頼んできた職員
は悪い人ではなさそうなので、やりたくはないが、今後、しつこく、部長と事務係長に交渉しようと考えている。






いや、その前に辞める方が先か。




担当利用者の親が高齢で他の会社に「利用自粛で通所日が減り、介護疲れた」とこぼしていた、と主任から言われたが、そんなのは電話をしている中で気づいていた。




だから、電話でその親に「毎日来てもいいんですよ、そのための福祉施設なのですから」と自論を語ったため、週3日で話がついたはずだった。






だが、新卒で1年間、会社に洗脳されてしまった社員が、利用可能日について電話してしまったため、週1〜2の通所になってしまった。






その子が悪いわけではないとは思うが、お前らなんのために福祉やってんだ?





会社都合?市の都合?関係ないだろ、利用者と利用者の家族のことを考え、良い方向に持っていくのが福祉だと考えている。





新卒で洗脳され、会社に流されているその女の職員はかわいそうだと思う。






辞めるとは思うが、頃合いを見計らってからだ。片付けも全て済ませてから。





ずるずるとやるにしても絶対に染まりはしない。





私も私の兄も障害者だから。

混乱

いつも通り出勤したら、社長にたまたま会い、腰についてたずねられ、腰を傷めないレクチャーを少し受けた。



???




職員室に入ると誰もが私の腰痛を知っていた。





朝礼の時は看護師にも聞かれた。





プライバシーってご存知ですか……





なぜ100人規模の社内で誰もが知っているのだろうか






チクリの元凶はそもそもこの会社の風習なのではないかとも感じた。チクリ魔が多ければ、それは広まるだろう。





部長に報告を、と言われたので、???となったが、椎間板ヘルニアの可能性があるので2週間後に再検査しますと答えた。





主任には腰以外は大丈夫です答えたが、その後、何事もなかったかのように業務に入った。





一部、心配もあり、1人でできるの?などおねえさんから声がかかったが、ヤバかったら呼びますとしか返答できなかった。トランシーバーもある。





オムツ替えというのは普通、立ってやるものだが、トイレベッドが狭すぎるので、同じベッドに座って、腰をひねって向きをかえ、座ったまま、オムツを変える。





この行為が非常に腰にくる、ヘルパー研修にもこんな講座はない、完全に会社のオリジナルである。





主任も過去に腰をヤッているそうだった。





喫煙所の上司も接骨院に通っている。






とにかく疲れた、有給の紙は書いて部長に渡した。おそらく3日分の有給は取れたと思う。





くたびれた、きえてしまいたい