日の光を浴びて
昨日は同級生とオンラインゲームをやり、0:00時頃に床についた。
ゲームをやりたい、というよりは、気を紛らわすためにやっている、に近い。
健常者と話していると、彼らの話は明るくて、気が紛れる。
なかなか眠れず、2:00頃に眠る。
朝の8時アラームでは起きれなかった。
寝たり、起きたりを繰り返しながら、たぶん、12時半頃に起き上がった。
バナナを食べ、イフェクサー2錠を飲む。
全身倦怠感は相変わらず、夢も見ている。
楽しいという感覚はないが、ほぼ義務的に身支度をして、30分程、ウォーキングをした。
考えながら、歩き始める。
「考えること」そのものが無駄なのではないかと思った。
人がいて、社会は成り立っている。
当然ながら、人は自分の思い通りには、動かない。
脳が違うからである。
相手がどう考え、どう行動するかまで、予測することなどできない。
他人には他人の都合がある。
手続きだって、医師、その時の役所の職員の対応次第で、早くもなるし、遅くもなる。
手続きを終わらしたところで、次、自分がおそらく取る行動は、アルバイト探しである。
その後、公務員試験を受けにいくのだろう。
社交不安障害(対人恐怖症)は置いといたとしても、うつ病が良くならない限り、面接に通ったとして、続けることができないと思う。
思うように動かない身体。
貯金残高は奨学金のことも考えると、約1年しかもたない。
身近でうまくいっている人を見ると、あまりよく考えていない人か、楽観的な人、急がない人が多い。
下手な考えは無駄に過ぎない。
未来予測(不確定な憶測)をすることによって、自分で自分を苦しめているだけなのかもしれない。
何通りのパターンを考えたとしても、予期せぬ事態というのは起きる事がある。
結論はその時になってみないとわからないである。
過去に戻ることは不可能だし、未来にワープすることも不可能である。
現実として、目の前にあるのは「今」だけなのだから。
家に着いてから、パソコンを開いた。
今できること、それは、ストレスを溜めないこと。
マインドフルネスに似ているかもしれない。
何も考えずに30分程、正しい姿勢で深呼吸を繰り返す、療法である。
昨年、本を買い、試みたが、長続きしなかった。
うつ病の本2冊、社交不安障害の本3冊、森田療法の本1冊、マインドフルネスの本1冊、読破したけれど、良くはなっていない。
高校生の時からの延長線上にあるうつ病だとしたら、12年ということになる。
もしくは、寛解と再発を繰り返し、今に至っているのか。
不安障がいとうつ病が混じってしまうと、治療は困難になってくるという仮説もある。
いい例が私自身なのだろう。
様子がおかしいのは事実だ。
本来の私であれば、医師に反対されようが、続けられなくても、何回でも正社員なり、アルバイトなり、続けられるまで応募と辞退を繰り返すだろう。
その応募すらやらないというのは、明らかに不自然である。