車に乗ってドライブへ 父との和解
昨日は23時頃に寝て、朝の8時のアラーム前に目が覚めた。
妙な夢ばかり見ているが、今日はすんなり起き上がれた。
バナナを食べ、イフェクサーを飲む。
父は今日、半休だ。爆睡している。
ヴェポライザーにチェ(赤)を詰めて吸った。
気づいたら9時半になっていた。起きていたが、何をしていたのかは覚えていない。今日は雨が降るようなので、洗濯物を取り込みに父の部屋に入る。
洗濯物を取り込んでいると父が目を覚ました。
昨日は飲み会だったそうだ。車は会社に駐車してあるそうだ。
健康保険の扶養に入れてくれないかどうかを聞いた。
国民健康保険料が気になっていた。
自立支援の手続きなどをしなくてはいけないため、めんどうではあるが、一時的に扶養に入れてもらい、健康保険証を発行してもらえれば、実質負担は0になる。
「おれだっていつクビになるかわかんねーんだからな」
扶養についてよく分かってなかったようなので、説明をした。
お金はかからないこと、永遠に扶養に入らしてもらうわけではないことなどを。
理解したのかどうかはわからないが、手続きはしてくれるみたいだ。
本屋に行きたかったので、会社に車を取りに行くのを私と兄でついていった。
電車と徒歩で40分は歩いたような気がする。
車に乗り、本屋に寄ってもらった。
公務員試験の3類の本が欲しかった。
本を見つけ、購入した。
内容をパラパラと見てみたが、少し難しそうな印象を受けた。
3類がダメなら、1類など到底受からないだろう。
3類であれば、参考書はこの一冊で充分である。この量であれば、攻略できると思う。
しかし、1類の科目数は多岐にわたる。
本気で勉強するなら何冊も参考書が必要だろう。最低でも、分厚い辞典のような過去問を攻略する必要がある。
車の中での話を聞いていると、やはり父はうつ病に関しても社交不安障害に対しても理解していない。
当然なのかもしれない。
健常者には理解しがたいだろう。
時折、私の焦りを助長するような発言がある。
傍から見たら、働いていないことはただの怠け者にしか見えない。
仕方ないと割り切るしかないのだろう。
なぜ、私の脳は父に似なかったのだろうか。
父の脳が私に遺伝していれば、おそらくメンタルヘルスにはならなかったと思う。
理解されるというのは非常に難しいことである。
当事者か同じ病気を持っている人にしか、この苦しみはわからない。
悲しみと怒りを感じた。
途中でタバコ屋に寄ってもらった。
タバコの葉っぱが欲しかった。
ゴールデンバージニア、というイギリスのタバコ葉があるのかどうかを聞いてみた。
ニコチン量はおそらくセブンスターに匹敵する。
売り切れてしまったと言っていた。大量に買っていく常連さんがいるのよと。
一袋で2週間は持つと思うのだが・・・大量に買っていく常連さんとは、一体・・・・
妥協して、ドラムのタバコ葉はありますか、と聞いてみた。たぶんマルボロ(赤)と同じくらいのニコチンが含まれている。
売り切れらしい。ドラムもメジャーなタバコ葉なので売り切れは理解できる。
どちらのタバコ葉も明日と明後日には入ってくるらしいが、私はおそらく来ないだろう。
更に妥協して、チェ(赤)のタバコ葉(シャグ)はありますか、と聞いてみた。
メビウスオリジナルと同じくらいのニコチンが含まれていると思われる。
チェ(赤)はあるようなので、それを購入した。
サービスで、バージニア葉のサンプルをつけてくれた。
お礼を言って店を出た。
ある変化に気づいた。ビジネススマイルとトークが全盛期程ではないが、ある程度できるようになっている。少し進歩を感じた。
マクドナルドのドライブスルーに寄って、クーポンで注文をした。
父に桜の開花予想はいつ頃なんだろうと聞かれたので、スマホで調べて伝えた。
家に着いてから、マクドナルドを食べて、パソコンを開いた。
はてなブログのいろいろな記事を読んでみた。
なかなか面白い。
そろそろ実家に戻って来てから、1年が経とうとしている。
父は母が言っていたように、確かにわるい人ではない。
私も兄も、手を挙げられたことがない。
しかし、何かが違うのだ。
根本的に、性格が違いすぎる。
他家庭の父親像を聞くと、結構ひどい話しも聞いたことが多々ある。
それに比べれば、全然ましな方である。
父がやってしまったのは、仕事が忙しすぎて、子供達に手が回らない、ネグレクト(育児放棄)に近いものが、幼少期からずっとあった。
中3になる頃にはもう父という存在は諦めていた。反抗期も終わり、特別話し合うことはほとんど皆無であった。
父と子として、今までに比べれば比較的に話し合うようになったのは、祖父母と母が亡くなってからである。
社会人になってから、仕事の忙しさを知った。たしかに仕事はお金が絡んでくるし、生活にも影響を及ぼすので、甘いものではない。
所帯を持った際は、それを切実に感じた。
私の以前の収入では、アパートを借り、妻を養うことが精一杯だということを。
人付き合いを一切辞め、節約をしないと子一人でさえ育てられない収入であると感じた。
収入が特段に安いというわけではなかった。
大卒の初任給の中ではそこそこの会社だった。
そこで、初めて父を尊敬した。
経済的な面では、妻と子2人、祖父母を養っていたに近い。
そのプレッシャーに耐えられるメンタル、休みが少ない会社で勤め続けているという事実、それは賞賛に値する。
兄と父からは同じ雰囲気を感じる。
私が精神疾患を患っていなかったとしても、おそらく別の属性なのだと感じる。
病気でなくても、たぶん分かり合えることはないのかもしれない。
何かが決定的に違うのである。今日はっきりと自覚した、私は父と兄とは分かり合えないだろう。
・追記
先ほど、父から電話があった。
明日、誕生日だから何か頭につけるヘアトニックとか、スキンケアのクリームいるか、と。
思わず笑みがこぼれる。
私はとても大人気ない。些細な言葉でいらいらしていたからだ。
おれは器が小さすぎる。親父の器はでかい。生涯、父を超えることはできないだろう。