YUKI-LOG

うつ病、社交不安障害の克服に向けて、筆者が取り組んでいることを主に書いていきます。

ダメだ

なんだこのやる気のなさは

 

 

夏だというのに

 

 


光を浴びることで少しはよくなるかと思っていたが、ほとんど寝たきりである。

 

 

 

 

14時頃に起き上がる、カップラーメンを食べ、アモキサンを飲み、無理やりウォーキングに出かけた。

 

 

 

 

セミが鳴いている、蜂が飛んでいる。

 

 

 


薬が足りないのであろうか。

 

 

 

 

昨年より、明らかに増えている。

 

 

 


お酒も呑んでいないのにも関わらず、この倦怠感。

 

 

 

 

リワークアルバイトとは一体、何なのだろうか。

 

 

 

 

良くなるどころか、平行線を辿っている。

 

 

 


あさってまたあるが、やめたところで寝たきりになるだけだろう。

 

 

 

 

動いた方がうつにとってはいい、と医師は仰っていたが、無理ない程度に動くというのは、かなり難しい

 

 

 

 

そのさじ加減は独学で学べるようなものではない。

 

 

 

 

ライブドアブログも立ち上げたいが、スマホでできるのだろうか。

 

 

 


何しろ気力がない、医師は気合いの問題ではないと仰るが、気合い入れる以外の方法でどう乗り越えろというのか。

 

 

 


そもそも気合いの入れようがない。

 

 

 

今までは音楽を聴いたり、タバコを吸って覚醒させることで、気合いを入れてきたが、通用しないのである。

 

 

 

 

くだらないことで、完全にこじらせてしまった。

 

 

 

原因は大体わかっている、2年前の5、6月頃だ。

 

 

 


その頃の私は、子供ができたら、死んでも良いと考えていた。

 

 

 


目標を達成したら、いつ死んでもいい、亡くなった人たちの遺伝子を残せたのなら、子供にはかわいそうだが、死んでもいいと思っていた。

 

 

 

 

名前も真剣に考えていた、字画数、女の子だったら、男の子だったら、とうかれてもいた。

 

 

 


うかれて、会社の同僚と酒を呑んでいた。

 

 

 


顔面を三発、強打される

 

 

 

女には手を挙げるわけにはいかなかった。

 

 

 


タバコを吸いにいく。

 

 

 


流産しても悲しまない、嫁、義理の人たち、

 

 

 


この頃から地に足の着いてない感覚が芽生え始める。

 

 

 

 

??????

 

 

 

 

離婚した後、意味がわかった。

 

 

 

 

先方の人たちの目的は、統合失調症の働けない娘を、誰かに養わせることだった。

 

 

 


夫婦とは協力し、苦楽を共にするものであり、子供に夢を託すものだとそれまでは解釈していた

 

 

 


世の中には歪んだ人たちもいるものだ。

 

 

 


招いたのは私のせいである。

 

 

 

3年前、お酒に溺れて、この子に連絡を取らなければ良かっただけの話しなのだから。

 

 

 

 

親父に初めて相談した

 

 

 


お酒を呑みながら

 

 

 

 

「何でだよ、何でいい人が死んで、こんなクソみたいなやつらが生きているんだ、その分の寿命を分けてくれたらいいのに」

 

 

 

 

父は言った

 

 

 

「劣悪種っていうのは、生き延びるものなんだよ」

 

 

 


残酷だが、たしかにその通りだった

 

 

 


父の言葉は時として、残酷であり、絶望を感じさせるものだが、さすがは社会人歴40年以上、合理的で確かな言葉を言う。

 

 

 

 


そして、父は社会に順応し過ぎたせいか、いやなことはすぐに忘れる性格でもある。

 

 

 

 


最後に義理の人たちと会った時、

 

 

 

 

「あれは普通じゃねぇな」

 

 

 

「母親は最後まで出てこなかったな」

 

 

 


などといっていたが、昨年、離婚後やり取りでもめていると、

 

 

 

 


「そんなことあったっけ」

 

 


「馬鹿やろうまだまだ、これからじゃねぇか」

 

 


と、いやなことは忘れて、新しい世界へと後押しをしてくれた

 

 

 

 

おれは、兄と父を置いて、歪んだ人物たちと触れ合いに家を出て、病んで帰ってきた

 

 

 


自分が招いたことである。

 

 

 


本当にどうしようもないことをしたと感じる。