YUKI-LOG

うつ病、社交不安障害の克服に向けて、筆者が取り組んでいることを主に書いていきます。

罪悪感とウォーキング

昨日は高校の同級生とオンラインゲームをプレイ。

 

 


0時頃まで行ったが、どうにも座っているだけでも腰に違和感や痛みを感じる。

 

 

 


よくわからない夢ばかりみている。

 

 

 

 

現実の方がつらくて、このまま夢の世界へいければいいのに、と思う。

 

 

 


8時頃、目が覚める。

 

 

 


今日は兄の支援員が来る日だ。

 

 

 

再び横になるが、長いことは眠れなかった。

 

 

 

13時頃に起床、バナナを食べ、アモキサン75mmを飲む。

 

 

 


罪悪感に苛まされている。

 

 

 

リワーク先を辞めようとしているからだ。

 

 

 

ヴェポライザーを吸う。

 

 

 

本当はアイコスを吸いたい、リワークアルバイトを続けられるのであれば、余裕で買い続けられるだろう。

 

 

 


歩いてみれば、何かいい手が思いつくかも、と準備を始める。

 

 

 

休職中から昨年の5月まで、ひたすら無理やり歩いてみたり、サイクリングしたり、していたが、いい答えは見つからなかった。

 

 

 


ウォーキングを30分程行う。

 

 

 


何かが胸の中でもやもやしている。

 

 

 


判断能力と決断能力がひどいと感じる。

 

 

 

思い出してみると、辞めるように催促されたわけではなく、とにかく多く出て欲しいという怒りであった

 

 

 

少なくとも、リワーク先の肉体労働は週2が限度。

 

 

 


それゆえに、医師から肉体労働以外の仕事、事務とかはどうなのか、と案を出された

 

 

 


潔くすっぱり辞めてしまえばいいのに、と思う。

 

 

 

おそらくもう行かないのだろう、このようなことは今後も繰り返される。

 

 

 

リワーク先を変えるにしても、週3の事務などあまり見たことがない。

 

 


事務を行う場合は週4以上で、社会保険に入るところが求人では多かったような気がする。

 

 

 


非常勤で週4以上入るのであれば、週5の正社員の事務をやった方がいいだろう。

 

 

 


今、あるのは罪悪感と不安感

 

 

 

またしてもこの先どう過ごせばいいのかわからなくなってきている。

暗くなったが、しにたいと思わなくなった

先週の金曜に電話で説教されて、辞める覚悟ができてから、不思議としにたいと思わなくなった。

 

 

 

一時的なものなのか、なんなのかはわからないが、情けなく感じる

 

 

 


明日からまた性懲りもなくウォーキングをするのだろう。

 

 

 

 

アルバイトを含めると17から25まで働いていたが、倉庫内作業というやったこともない職が合わなかったのだろうか。

 

 

 

 

しかし、この2年間で断念した、福祉のボランティアもいくつかある、病の影響なのだろうか。

 

 

 


病が悪化する前までは、どんなに二日酔いでも出勤できていて、休むことはほとんどなかった。

 

 

 


休んだとしても、有給消化の範囲内、一体、なぜこんなにも休み癖がついてしまったのだろう。

迷走

フリーターをしながら、公務員試験を受ける

 

 


それが5月に出した、道筋だった。

 

 

 

リワークアルバイトを辞めようとしている現在、迷い始めている。

 

 

 

医師が8月初頭に少しだけ出した道筋は、肉体的負荷のかかりにくい事務仕事などに変えてみてはどうだろうかという話しであった。

 

 

 


腰のことも考えると、わるくはない話しだ。

 

 

 


リワークアルバイト先を変え、フリーターをしながら、公務員試験を受ける。

 

 

 


それもいいだろう。

 

 

 


しかしながら、またしても、不安を抱え始めている

 

 

 


ある程度、収入がないと、生きていけない

 

 

 


そうなると、必然的に思考はハローワークからの正社員になる

 

 

 

だが、病気を抱えている

 

 

 


障害者雇用の公務員試験に受かってしまえば、それに越したことはない。

 

 

 


問題は落ちた場合だ

 

 

 


やはり、やってしまうのであろうか、続けられる見込みが薄くても。

 

 

 


薬なしでは、動けない身体。

 

 

 

癒えていない、過去の傷。

 

 

 


ジレンマを抱えながら、答えの見つからない迷宮を歩いているような感覚である。

試験と予定

再来週は試験だ

 

 

3類、障害者雇用のこの公務員試験、筆記に受からないのであれば、1類など到底受からないだろう。

 

 

 

筆記の結果発表は9月末

 

 

 

それから動くとしよう。

 

 

 

しばらく、使っていなかったハローワークカードを見つけ出す。

 

 

 

心身状況は良いとは言えない。

 

 

 

 

やるしかないだろう。

 

 

 


正社員は絶対無理と4月に医師から止められていたが、やはり。

 

 

 

 

アルバイトをやっていても、一時しのぎでしかなく、全く先が見えないため、しにたい、しにたい、と考えやすくなってしまった。

 

 

 

 

8月初頭には医師から事務仕事を勧められる。

 

 

 


リワークする際に事務も頭をよぎったが、女性が欲しいのではないかと思っていた。

 

 

 

もうダメだ、こんなシケた生活はやってられない。

 

 

 

心身状況が追いついていない、ジレンマがあるが、やる他ない。

 

 

 

2年前から、突然、働けなくなった

 

 

 

それまでは学校に行きながら、週5でアルバイトしたり、正社員週7で休日出勤することもできていた。

 

 

 


どうしてもプライドが、自分の中に残されたちっぽけなプライドが邪魔をしやがる。

 

 

 


リワークなどやってられるか。

 

 

 

障害者雇用でもいい、公務員になるか、ハローワークで正社員になるのだ。

稼げなければ詰み

いろいろ考えてみたが、どう考えても手取り18万程ないと、自立はできないのではないだろうか。

 

 

奨学金の返済は月3万程ある。

 

 


それもあり、18万なのである。

 

 

 

奨学金返済で手元に残るのは15万。

 

 

 


やはり、これくらいはないと家から出れないだろう、今のところ、出る必要はないが。

 

 

 


家賃5万、光熱費3万として、これなら回る

 

 

 

もしくは、所帯持っていたから、いっぱいいっぱいだったのだろうか。

 

 

 

金銭面は給料を全て渡し、相方に任せていたので、一人暮らしに必要な金銭感覚が狂っているのか。

 

 

 

ボーナス込みで月18万の、手取りがないときついだろう。

 

 

 

退職金がない会社はありふれているが、正社員の魅力はやはり、ボーナスである。

 

 

 

賞与がない会社は、意外と少ない

 

 

 

飲食店以外のバイトで生計を立てている例が周りにはあまりない。

 

 


というより、友だちは全員、正社員か非常勤でそれなりに稼いでいる

 

 

 

病気になってしまった以上、比べるのもどうかと思うが、正社員になりたい。

 

 

 

アルバイトと名乗ることに抵抗はなくなったが、心の奥底では、劣等感に苛まされている。

 

 

 

毎日、しにたいと思ってももういいではないか。

 

 

 

9月に公務員試験を受け、結果次第では、正社員を目指したい

 

 

 

まだ30になっていない、まだ、体力的に舞えるはずだ。

 

 

 

医師から止められようが、今年中には全ての因果を振り払い、私は元に、3年前の私に、4年前の私に、戻りたい

複雑な気持ち

今あるのは、罪悪感とゆううつ。

 

 

そして、腰の痛み

 

 


リワークアルバイトから解放されたという感覚よりも罪悪感の方が高い

 

 


これからの予定は

 

 


9月初旬、障害者雇用公務員試験

 

 


10月の結果次第で、今後の路線を決める

 

 

もはやこれまで

6時頃起床。

 

 

ゴロゴロして7時のアラームで完全に起き上がる。

 

 


おとといのアルバイトでまたしても腰を痛めている

 

 

 


外は雨、気分もゆううつだ。

 

 

 

バナナを食べ、アモキサンを飲む。

 

 

 

数分間、非常に迷う。

 

 


行くのか、行かないのか。

 

 


安易に吸える、glo、と紙巻きタバコわかばに手を出す。

 

 

病気のせいで行けなかったのかもしれないが、腰の痛みもやはり気になる

 

 


電話をかけた。

 

 


今日の主任は機嫌がわるい。

 

 


腰が捻挫したことを伝えたが、捻挫という言葉を3、4回言わないと理解してくれなかった。

 

 

あの会社は高校中退や通信の人がいたくらいだから、あまり学歴は高くないのだろう。久しぶりに単語が通じないという現象に出くわす。

 

 


口調が変わるのがわかった。

 

 

介護士時代の主任よりも、しつこくはないが、説教を受ける。

 

 

もはやこれまでか。

 

 

そう思い、全ての意味を含めた、「わかりました」を告げた

 

 


やはり、主任が主張したいのは、その部署が忙しいから、出てほしいとのことだった。

 

 

休みが多いのは自覚してるとは思うけれど、とも。

 


当たり前だが、社会に出れば、私の腰のことなど、どうでもいいことなのだ。

 

 


他人は他人をゴミとしか思っていない、そんなことを改めて気づかされた、というよりも、やはり、という感じだった。

 

 

パートリーダーである、フリーター上司が部署内の人たちに出れるかどうか聞いているのは、主任の指示だったのだろう。

 

 

忙しいのは、教える、教わるのOJT体制がしっかりしていないからである。

 

 

フリーター上司がパートリーダーである割には、教え方が下手すぎるから、というのも一因だろう。

 

 


最後にたくさんのつっこみ所をつっこみたかったが、そのような気力はない。

 

 

また、気力があっても、めんどうなので、やらないだろう

 

 

もはやこれまで

 

 

週3で出てほしいらしいが、週2が限度なのだ。

 

 

私のわがままだが、電話やメッセージで仕掛けてくる人はあまり好きではない

 

 

目の前にいないからである。

 

 

偏見だが、こと仕事に関してはこの傾向、女性に多いと感じる

 

 

私情で申し訳ないが、再来週に試験がある。

 

 

座れない程に、腰を痛めるわけにはいかないのだ。

 

 


そっちの方に人生賭けている。

 

 

リワークアルバイトはひとまず、ここで区切っておいて、試験が終わったら、リワークを何かしら探そうと思う。

ダメだと感じる

ダメだと感じる。身体も心も。

 

 


Yahoo!ブログの方は死を助長する粘着質な人物がコメント欄に出現し、コメントを削除し続けていくのが、めんどうになってきたため、他方のブログに書き込むことにした。

 

 

 

おそらく私はまたしても、訳もなく、疲れ果ててしまったのだろう。

 

 


正社員以外が生活のためには、本当と意味で意味をなさないことをなんとなく理解している。

 

 


結局のところ、最終形態で正社員になれないのであれば、無意味だ。

 

 


それとも、障害年金プラスアルバイトという選択肢もあるのだろうか。

 

 


あまり受け入れにくい。

 

 


どうしても社会的にしにたくなってしまう、ゆっくりした過ぎて仕方ない

なんとか行けた

なんとか行けた

 

 

父が半休だったので、途中まで送ってもらえたのが大きい

 

 

 

忙しい日が何日かあるようで、出てと言われたが、試験が近いので、と断り続けている。

 

 

 


出勤する度に言われているような気がするが、忙しい日が多すぎやしないか。

 

 

 

 

毎回、罪悪感に襲われる。

 

 

 


出たくても、出れない

 

 

 


目的も違う。

 

 

 

 

人それぞれ、目的が違っていいと思うが、なぜ、私の部署はこうも人手不足なのか。

 

 

 

 

ベテランクラスでも、この部署は1年いれば、なれる。

 

 

 


原因は忙しいからではないのか。

 

 

 


あとは、インコおばさんとフリーター上司の存在が疑わしいが、この2人も実質、1年程度である。

 

 

 

 

終わった後の、尋常ではないこの疲れは、もはやおれが病んでるからなのかなんなのかはよくわからない。

 

 

 

 

月曜も休むようになったの?とフリーター上司に言われたが、そうですね、としか、答えようがない

 

 

 

週2が限度である。

 

 

 

だが、少し考えたい

 

 

 


病んでるからなのか、

 

 

 

そもそもこの仕事きつすぎて、プラス、部署的にきつすぎて、離職者が多いのか

 

 

 


または、どちらも相まって自分にとってきついのか

 

 

 


よくわかっていない。

 

 

 


シフトがかぶってないだけなのかどうかはわからないが、6月から3人程、顔ぶれが減っているような気がする。

 

 

 


自分が退化したのか?仕事そのものがきついのか?

 

 

 


そもそも自分がやってきた仕事というのは、レジ打ちや介護士障がい者支援である。

 

 

 

 

介護士に戻りたいとは思えないが、レジ打ち、障がい者支援よりも、仕事が大変である。

 

 

 


個人差はあると思う。

 

 

 


医師の事務はどうですか、の言葉が頭をよぎる。

 

 

 


事務などやったことがない、もしかしたら、最も自分にとってきついのかもしれないし、簡単なのかもしれない。

 

 

 


ただ、この仕事やってて、役に立つのかと問われると非常に考え物である。

 

 

 


荷物運び、商品の名前を覚える、シールを貼る、ダンボールを作る、カッターナイフを使う、テープで止める、箱詰めをする、

 

 

 

何かで役に立つとしたら、カッターナイフの使い方とダンボール梱包くらいであろう。

 

 

 

非常に、役に立つ要素がない

 

 

 

9時から17時、正社員慣れするには、いい時間かもしれない。

 

 

 

飲食店や自分の代わりが利かないバイトよりはマシだと思う。

 

 

 


飲食店はマジでヤバい。

 

 

 

高1の時に少しやったが、ヤバい

 

 

 

映画館もヤバかった

 

 


特養の介護士はさらにヤバかった

 

 

 

そう考えると……まだいいのかもしれない

4時に目が覚める

よくわからないが、4時に目が覚めた。

 

 

最初は気分が良かったが、トーストを作り終え、食後にアモキサンを飲んだあたりから疲れ始める。

 

 

 


じいちゃんのメモ書きを見つける

 

 

 


おれの文章系列とよく似ている

 

 

 


私が学生時代の時の私と兄のために動いていてくれた、じいちゃんの1日のタイムスケジュールが書いてあった。

 

 

 


おれが2年前、思い悩んでメモ帳に書き綴っていた、あの書き方によく似ている

 

 

 


将棋も教わった

 

 

 

1日のスケジュールを立てるというのは、将棋の先を読む行為にそういえば、類似している。

 

 

 

 

そういえば、母もノートにタイムスケジュールを書いていた

 

 

 


私の場合、時間刻みの計画を立てることはあまりしない、かなり繊細だったのだろう。

 

 

 

 

おれはいつも自分のことばかり考えているが、母もじいちゃんも私と兄のことをよく考えてくれている。

 

 

 


原因は死別なのだろうか。

 

 

 

悲しみを乗り越えられていないのだろうか。

 

 

 


母と祖父母、3人のことを引きずっているのか。

 

 

 


20の時、母のせいにしたくなくて、それ以前と変わらない生活を送るように務めていた。

 

 

 

21の時、しにたくて、バイクの免許を取りに行った。

 

 


バイクを買ったが、ポンコツ過ぎて、70キロしか出ない

 

 

 


22の時、祖母が亡くなった

 

 

 

家でも酒を呑むようになった。

 

 

 


23の時、祖父が亡くなった

 

 

 

毎晩、酒を呑むようになった

 

 

 

正社員でお金もあった、まともなバイクを買う、しねなかった。

 

 

 

忙しいのもあって、きちんと死別とむきあわなかったのではないだろうか。

 

 

 


あの頃に比べれば、離婚など、到底小さいことであり、どうでもいいことなのだ。

 

 

 

 

なぜ、いまさらになって動けなくなった