社会人になってから~くだらない道のストーリー~
社会人になってからのことをまともてみようと思う。
23歳、4月、入社式
全員で8人程いたような気がする。
20くらいのギャルママが私をいじくってくれたので、ウケを取ることができた。
そのため、同期との人間関係は良好だった。
しかしながら、OJTの先輩社員が苦手なタイプであった。
いわゆる、厳しいタイプ。
後で知ることになる。
厳しい、怖い人、というのは大抵、癇癪持ちなだけである。という医者の仮説。
2週間、無理な介護をし、腰を破壊。
腰を痛めたことを理由に退社する。
23歳、5月、ハローワークもどきの人材紹介会社を通して、正社員として、携帯のアウトソーシング会社に入社。
研修をこなしていくが、当時の処方はメイラックスのみ、耐えられなかった。
3日で辞めることになる。
2週間で行けなくなる。
さすがに、3度目だったので、病院に行った。
23歳9月末、最初の欠勤が響いて、基本給が16万のまま、上がらなかったため、会社を辞める。
23歳、10月、基本給22万の会社に就職。
今までがヤバかったのかどうかわからなかったが、比較的、仕事が楽に感じられた。
作業所B型の職員。
23歳、1月、祖父の具合が悪くなり始める。
父に救急車を呼んでもらい、入院、もう長くないことを知る。
それと同時に家事が止まる。
今まで、ずっと家事をやっていてくれていたんだ。
毎日、仕事帰りに病院に寄った。
会社では、問題が起きていた。
他事業所で利用者に叩かれ、けが人が出てので、代わりに私が行くことになった。
今はそれどころでなかったので、待って欲しかったのだが、二日後、他事業所へ。
23歳、2月、祖父が亡くなる。
ピーという、心拍音0の音を聞くと今だにフラッシュバックする。
病室でピーの音を1時間以上、呆然と聞いていた。
喪主をやった後、真面目にキックボクシングジムに通い始める。
24歳、7月、荒れた状態で日々を生きていた。
他事業所へ異動、元妻と付き合い始める。
24歳、1月、結婚。
家を離れ、アパートを借りる。
付き合うっていうのと、同じ屋根の下で一緒に暮らすっていうのは、訳が違う。
価値観の違いというのは大きい。
25歳5月、元妻にビンタを何回もくらい、リストカットを試みるが、痛くてできなかった。
6月、流産する。
何度も出勤を試みるが、長続きしなかった。
7月、休職に入る。
休職に入るなり、リワークを試みた。
他の会社の施設見学をし、8月、2日間のリワークボランティアに行く。
毎週のようにハローワークに行き、企業研究、リワークボランティアの申し込みを行った。
10月、本格的なリワークボランティアを始めるが、1日で断念。
2日目は行けなかった。
元妻にあなたのせいで友達を失ったと告げられる。
意味がわからなかった。
ボランティア先の施設にその親友という人がいたが、夫がボランティアを止めただけで、友達じゃなくなるという理由がわからなかった。
価値観の差なのだろうか、やはり、今だにわからない。
元妻の母親も同意したようだった。
意味がわからないと言った。
そのようなことで、友達じゃなくなるのであれば、本当の友達ではないと言った。
元妻の周りはどうなっているのか、意味が分からなくなり、混乱していた。
25歳、12月末、ハローワークに行き、企業研究を再開するが、文字が頭に入ってこなかった。
パソコンをまともに見られないのだ。
25歳1月、元妻の親からの悪口を毎日、聞かされて、頭がより一層おかしくなると思い、実家に帰省する。
プライドはズタズタだった。
障がい年金目当ての結婚だと、本気で思っているようだった。
私が当時受給していた傷病手当金の方が3倍以上なんだが・・・
相手選びを間違えたのか、相手選びの家庭を間違えたのか、自分が間違っているのか。
周りには私を否定する人しかいない。
相手側の親は特にひどかった。
友達とも遠い場所に住んでいるし、しかもお金がなかった。
1日後、元妻が実家にやって来た、というより、来ていい、と言った。
相手の親とは価値観が合いそうもないので、こちらで暮らす他ないだろう。と考えていた。
同居はしちゃダメよ。と言われているらしく、裏切っているみたいで怖いと言って、あの子は実家に帰省した。
結婚後も親の言うことを聞き続けるのであれば、結婚しない方がいいだろう。気づくのが遅すぎた。
アパートに戻り、ハローワークに通い、企業研究を始める。あの子も自動的に戻って来た。
26歳、3月、会社とのやり取りさえもおっくうになって退職願を書いた。
友達とのコミュニケーションもリワークになるだろうと思って、久しぶりにお酒を飲みに行った。
その晩、元妻の荷物が全てなくなっていた。
逆に感心した。
すごい手際の良さである。
離婚届を郵送してくれとのことだったが、まずいのではないかと感じた。
父が持って行ってくれた。
26歳、4月、2週間、お酒を飲み続ける。
ほぼ全財産を失い、何もかもを失った。
4月中旬から、真面目にお薬を飲み始める。
26歳、5月、地元に戻って来たことで、それまで会えなかった友達たちと会えるようになる。
ゴールデンハムスターを飼い、新しい自転車を買った。
6月、サイクリングとウォーキング、筋トレをしまくっていたため、色黒く、たくましくなっていた。
医師には海に行ってきたみたいね。と言われたのを覚えている。
7月、メンタル系の本を読み漁る。オンラインゲームも始めた。友達とも定期的に会うようになっていた。
ハローワークに行き、企業研究は6月から本格的に始めていた。
ペアーズなどの出会い系サイトもやっていた。
8月、友達との友好関係は元に戻ったと言っていいほど、週に1回は会っていた。
3日連続の8時間ボランティアを申し込む。
1日で断念。2日目は行けなかった。
友達の結婚式に参列。
9月、ハローワークに行き、相変わらず企業研究をしていた。
ペアーズで一人会った。
ためになる情報はつかめなかった。
10月、8時間ボランティアに1日だけ行く。
1日だけなら可能なことがわかった。
友達関係では、剣道部と久しぶりに2回飲みに行った。
結婚したのは、私を含めて、3人だ。
3人中2人、離婚してるってほんとクズばっかだなおれたちはって話してた。
11月、週1,8時間ボランティアを申し込む。
3週間は続いたが、4週目は行けなかった。
12月、絶望を感じる。
予定では、1月から働く感じだった。
ボランティアでさえ、続けることができていない。
寝たきりになった。
1月、父が気を使っているのがわかった。
外に連れ出してくれる。
友達も家まで、車で迎えに来てくれた。
中旬から、Yahoo!ブログを始める。
うつ病の人のブログを見て、Yahoo!ブログをやると良いという記事を見つけたからである。
2月、為替取引をやってみた。
お金持ちがやるギャンブルと感じた。
体調はあまり思わしくない、まず、企業研究に行くことさえも12月からできていない。
遊びには、車で迎えに来てもらって、1回しか行けなかった。
3月、何をしていたのか覚えていない。
何もしていなかったのだろう。
4月、公務員試験の応募をした。
障がい年金の申請、障がい者手帳の申請も。
いろいろな道を開くために。
リワーク許可が週1レベルなら良いという感じだった。
何時間やっていいのかを聞き忘れた。
ブログ友達は、検索覧で「うつ」検索し、友達申請させていただいた方が多いので、仲間が多いと思います。
私がもし、ブログ友達にアドバイスをするとしたら、このような過ごし方はしないでください。
医師とよく相談をして、許可を取ってから、ボランティアやリワーク、働く、ということをした方がいいと感じています。
私もあまり人のことは言えませんが、独断はかなり危険で、長引くおそれがあります。